上海(Shanghai)とジャズ

 上海を訪ねたのは四半世紀も前のことだ。超高層ビルが林立する現代の上海ではなかった。
 「上海」を最初に意識したのはブルース・リーマニアだった小学生の頃、『ドラゴン怒りの鉄拳』を観た時だ。日本人が敵役のこの作品を複雑な心境で観たわけだが我が最大のヒーローの活躍に目を奪われさほど深刻にとらえたわけではない。が、やはり黄浦江公園に掲げられた「犬と中国人は入るべからず」という看板は印象に残った。後に横光利一の『上海』、金子光晴の『どくろ杯』などで、かつて「魔都」とよばれたイメージを刷り込まれてゆく。「陰謀と阿片と、売春の上海は、蒜(にんにく)と油と、煎薬と腐敗物と、人間の消耗のにおいがまざりあった、なんともいえない体臭でむせかえり、またその臭気に忘れられない魅惑が、人をとらえて離さないところであった。」(金子光晴『どくろ杯』)―――活気にあふれた80年代初頭の上海にも「陰謀と阿片、人間の消耗」以外は感じられた。中国各地をまわったが表通りで袖を引く女に出会ったのは上海だけであったし、人民服以外(毛皮のハーフコートを着ていた)の服を着ていたのもその種の女性だけだった。

 「上海(Shanghai)」という音楽的な響きを持つ都市の名は口にしたときになんとも複雑で魅惑的な味わいがある。それは魔都のイメージでもあり、租界というきわめて特異な形で様々な文化を取り込みながら世界的な国際都市として発達してきた歴史でもあるだろう。英語には「Shanghai」という動詞も存在していて、薬を飲ませて船乗りとして誘拐してしまう、という怖い意味がある。
 ジャズは悪所で栄える。1920年代から30年代にかけてフィリピン、日本からジャズメンが数多く訪れ上海は東洋におけるジャズのメッカとなった。自由劇場の『上海バンスキング』は1936年が舞台だ。当時中国人のジャズミュージシャンがどれほどの活躍をしていたかはよくわからないが、50年という時間を超えた上海ジャズに出会うことができた。かつてキャセイホテルと呼ばれた和平飯店の老年爵士(ジャズ)楽団だ。その名が示す通り若手でも50歳ぐらいに見えた。最近上海に行った知り合いも聴いてきたらしいのでメンバーを変えながら今も続いているはずだ。その演奏はきわめて素朴で、長らく禁制音楽だったためにモダンの洗礼など何ひとつ受けていない。おそらく30年代と同じ演奏なのだろう。レパートリーはスタンダード中のスタンダードばかりで「ダイナ」「虹の彼方へ」「ブルースカイ」など。たしか「枯れ葉」と「Sing Sing Sing」をリクエストした。音楽性は関係ない。10代の若い感性は、今、東洋の魔都と呼ばれたころの上海の音を聴いている、と思うだけで感動した。

写真はガーデンブリッジ(1983年)


画像



吉田日出子/上海バンスキング ツイン・ベスト
ハイブライト
2003-05-21
吉田日出子

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